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イラストレーター・色田、失敗の上に色を塗り重ねてきた人生

2024.03.21
  • 鈴木 樺恋

  • オバラ ミツフミ

  • 本人提供

目次
INFORMATION
イラストレーター
色田
色と人物の表情で魅せる、福井県在住のイラストレーター。 グラフィックデザインやファッション分野で学んだ経験を生かして、楽曲MVへのイラスト提供やオリジナルアパレルグッズの販売をメインに活動中。

ひとくちに「クリエイター」といっても、描き出すクリエイションは色とりどり。その背景には、バッググラウンドや譲れないこだわり、そして個性がある。

私たちが愛する「あのイラスト」は、いったいどのような思考回路をたどり、どのような技術によって生み出されているのだろうか。

クリエイターたちが歩んできた人生に焦点を当て、自分好みの色でクリエイター人生を彩ってきたヒストリーを明らかにしていく連載「人生のふであと」。

今回のゲストは、イラストレーターの色田さんです。

色田さんは、手がけたイラストが「ずっと真夜中でいいのに。」対戦型トレーディングカードゲームのSR枠に採用されるなど、多方面でご活躍されています。

しかし、かつてはイラストとは無縁の世界で働いていた過去があります。デザイナーを目指すも挫折し、イラストの世界から離れ、長い下積み生活を送っていたそうなのです。

いったいどのようにして、イラストの世界に返り咲いたのか。色田さん独自のテイストは、いかにして生まれたものなのか。

「失敗に色を塗り重ねてきて、今があるんです」と語る色田さんの、人生の“ふであと”をたどっていきます。

描きたくても、描けなかった時代

──── 色田さんが絵を描き始めたきっかけについて、教えてください。

保育園に通い始めたころから、絵を描くのが大好きでした。ヒマさえあればチラシの裏にクレヨンで絵を描いていましたし、自宅にパソコンが届いてからは、マウスで必死に絵を描いていたことを今でも覚えています。

好きな漫画のページを左手で押さえ、右手で描いて……と、やっていることはみなさんと変わりません。でも、時間さえあれば筆記用具を握り、夢中で絵を描き続けていた“あの時間”こそが私のルーツです。

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絵を描くことに対する思いが明確に芽生えたのは、小学校高学年だったと記憶しています。イラストを真似るのもいいけれど、キャラクターから考えて描きたいと思うようになり、自分のオリジナルを追求するようになったのです。

「気が強い女の子を描いてみよう」「気が強いってことはこんな身振りをするのかな」と考える時間はすごく楽しくて。

描いては消して、描いては消して……を繰り返しながら、自分だけの世界に夢中になっていました。

──── 当時からイラストレーターになる夢を持っていたのでしょうか。

実は、絵を仕事にしようとは思ってもいませんでした。運も実力も必要な世界なので、自分が活躍できるなんて、ゆめゆめ想像できなかったのです。

ですから、誰かから直接絵を学んだこともありません。中学時代は吹奏楽部でしたし、高校時代は合唱部に所属していました。「絵を学ぶと義務のようになってしまうのではないか」という恐怖感もあり、本当に自分ひとりに閉じた世界の中で絵を描いていたんです。

ファーストキャリアも、イラストレーターとは似ているようで違う、グラフィックデザイナーです。安定している職業に就きたいと思っていたので、関西にあるデザインの専門学校を卒業して、旅行パンフレットのデザインを手がける会社で働いていました。

──── いったいどのようなきっかけで、イラストレーターを目指すことになったのでしょうか。

話せば長くなってしまうのですが、最初のきっかけは、入社3ヶ月でデザインの仕事を辞めたことでした。

これは会社や業界がどうこうというより、私自身の問題だと思っているのですが、働き方や仕事のスピードとの相性がどうしても合わなかったのです。

10代の頃から「安定した仕事に就きたい」と思っていて、それを実現するためのレールを自分で敷いてきたつもりだったので、とても落ち込みました。

メンタルは落ちるところまで落ちてしまい、文字通り“放心状態”になってしまって。

私にとってデザイナーは、「この道で食べていくぞ!」と意気込んで選んだ仕事でしたが、それを続けることができなくなってしまったのです。

──── 退職をきっかけに、イラストレーターに?

それが、次の仕事は接客業なんです。自分自身が眼鏡ユーザーだったので、地元を離れて関東の眼鏡屋さんで働いていました。なりたかったデザイナーになれなかったので、一度まったく違う仕事に挑戦してみようと思ったのです。

接客業をしていた時期は、イラストを描くこととも疎遠になっていました。転職した当時は絵を描くモチベーションがありませんでしたし、メンタルが回復してきても、仕事が忙しくて満足いく絵を描く余裕がなかったのです。

私はイラストレーターとして、遅咲きなんですよね。

あのとき、私の絵をみてくれた人たちへ

──── イラストの世界から離れてしまったのに、どうして現在のキャリアがあるのでしょうか。

接客業は3年間継続したのですが、家庭の事情があり、地元に戻ることになったんです。再び接客業をしようとも考えたのですが、心からやりたいと思える仕事にはなかなか出会えず、改めて自分と向き合うことになりました。

そのときに湧き上がってきたのが、「イラストレーターになりたい」という思いです。

デザイナーになると決めたときも、接客業をしていたときも、本当はイラストレーターへの憧れをずっと持っていました。その気持ちに、「私にはできない」とフタをしていたことに気付いたのです。

ここまで来ると、自分の気持ちにウソはつけませんでした。

アルバイトをする以外の時間をイラストを描く時間に充てて、イラストから離れていた3年間の埋め合わせをする日々が始まりました。

──── 3年間のブランクは、どのようにして埋められたのでしょうか。

まずは、自分がどのくらい絵が描けるのかを知るべく、とにかく絵を描きまくりました。それと同時に、どのようなテイストのイラストが流行っているのかもチェックしました。

そうしているうちに、「流行りはこうだけど、私はこう描きたい」という思いが芽生えてきます。当時は自問自答を繰り返しながら、とにかく絵を描いていましたね。

──── イラストレーターとしてのお仕事は、どのようにして獲得されたのでしょうか。

本当に右も左も分からない状態からのスタートだったので、まずは、相場を知るためにクラウドソーシングサービスを利用しました。

最初は、SNSのアイコンやMVの制作を数千円で受けていましたね。出品しているみなさんの金額を参考に値段を設定しましたが、今では考えられないほど低い金額設定でしたね。

そうやって案件をこなしつつ、SNSでイラストの発信をすることも続けていました。すると、SNSで私を知った方から、直接依頼をいただく機会もいただきました。

そうなってからは、次第に依頼の数が増えていき、少しずつ収入が安定していきました。

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それでもまだ、イラストで食べていくレベルの稼ぎにはなっていなくて。イラストレーターとして生計を立てていく方法を模索しながら、引き続きがむしゃらに絵を描き続けていました。

転機になったのは、とあるアーティストさんのMV制作の依頼です。今までは考えられないような好条件で依頼をいただいたことで、イラストレーターとしての自分に自信が持てました。

以来、少しずつ単価を上げることができ、現在は専業のイラストレーターとして生活できるようになりました。

現在の私があるのは、何者でもない時代に、私が描いた絵を見てくれる人がいたからです。

SNSにイラストを投稿すると反応がもらえましたし、クラウドソーシングサービスを通じて実績のない私と取引をしてくださる方もいらっしゃいました。

私に自信をくださったみなさんには、今でも心から感謝しています。本当にありがとうございました。

苦労して掴み取った、絵を描く人間の幸せ

──── 現在の活動内容について、詳しく教えてください。

現在は専業のイラストレーターとして、主に音楽関係のイラストを描かせていただいています。

たしかに収入は大切ですし、もっと安定的にお仕事をいただけたらとは思いますが、今の生活は本当に恵まれていると思います。大好きなイラストで生計を立てられているなんて、数年前の自分では考えられなかったことです。

また、絵を描く人間として、お金には変えられない幸せを感じることもできています。

2022年に参加させていただいた「Emotions183 池袋PARCO×R11R SPECIAL EXHIBITION 2022」は、私にとって忘れられない企画になりました。

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というのも、池袋PARCOに掲載されたイラストを見た方が大勢、SNSに写真と感想をアップしてくださったのです。なかにはお友達の付き添いで行かれただけの方や、イラストに特別興味があるわけではない方の投稿もあり、本当に嬉しかったです。

私が描いた一枚のイラストが、その人たちの足を止め、心を動かすことができたってことですから。

──── イラストレーターになってから、ほかに印象に残っている仕事はありますか。

ドワンゴさんが主催する「ニコニコ超会議」とR11Rさんのコラボ企画「超絵師展」のライブペイントで、初音ミクちゃんのイラストを描かせてもらったお仕事ですね。

私、初音ミクちゃんが大好きなんです。「ミクちゃんをお仕事で描かせてもらえるなんて!」と、本当に嬉しい気持ちでいっぱいでした。

こういった仕事は、イラストレーターをしていなければ実現できなかった喜びをくれました。紆余曲折ありましたが、諦めずに描き続けてきてよかったなって思います。

失敗の上に、何度も色を塗り重ねる

──── 色田さんの、今後の目標を教えてください。

今でも本当にありがたいほどお仕事をいただいていますが、もっと幅広い分野でお仕事ができたらと思っています。

音楽が好きなので、引き続き音楽関係の仕事を続けたいですし、ファッションも好きなので、アパレル業界とのコラボもしてみたいです。

野望がたくさんあるので、挙げだしたらキリがないですね(笑)。

──── 回り道を経験した色田さんから、イラストレーターを目指している人に伝えたいことはありますか。

ブランクを挟んでもいいから、描くことをやめない。そして、失敗を失敗のまま終わらせない、ということですかね。

私が描く絵は、色を何層にも重ねています。あえてそうしているというより、最初に決めた色が「違うな」と思っても、そこに新しい色を塗り重ねるようにしているんです。

納得がいかなかった色使いも、上から色を重ねることで、その配色でしか生み出せなかった魅力に変わっていきます。

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これ、私の人生と同じだと思うんです。デザイナーを目指すも挫折して、イラスト業界とはまた違う接客販売業・眼鏡という分野の業界で働いていましたが、その過去が無駄だったとは思いません。

むしろ、当時の経験があったから、今こうしてイラストレーターになれたと思っています。

経験や考えは、描くものに表れます。だから、遠回りしても大丈夫です。苦しい過去も、遠回り道も、ぜんぶが「あなただけの味」になります。

私のイラストを見ていただいた方から、よく「ひとつのイラストから、いろんな色を感じられる」と感想をいただきます。それは失敗の上に何度も色を塗り重ねた結果であり、私の人生そのものです。

自分らしさの出し方や、そもそものキャリアに悩みを抱えているのであれば、私の絵を見て「もっと冒険してもいいんだ!」と思っていただけたら嬉しいです。

鈴木 樺恋

『でみたす!』プロジェクトマネージャー・編集者。コンテンツの企画・製作を担当。画塾で絵を学んだ経験から、「描く側のニーズも満たすコンテンツづくり」を目指しています。

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